Cafe Paradiso

~カフェでの雑談のように~

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詩 その1

ここ数日、前回の続きのような内容で新しい記事を書こうとしては断念の繰り返し…

ブログとして書こうとすると、どうしても説明的になってしまい「書きたいと思うこと」からかけ離れていってしまう。
それは、「伝えよう」とする意識から来るのかもしれない。
「分かって欲しい」のではなく、「自らの内にある思いを表現したい」のに上手くできない。そういったところか。

色々考えている内に、「詩」と言う形式なら上手く表現できるのではないかと思い至った。
少なくとも私の文章力では、夢のようなつかみどころないものを普通のブログのような散文形式では書けないような気がする。

「詩」と思い至ったものの、詩を公開することは自分にできるだろうか…と、子どもの頃の出来事を思い出しながら考えてしまう。

小学生の頃、(詩と強く意識してではないと思うが)よく詩を書いていた。
たぶん短い文章の並び、それが生み出すリズムが好きだったのだろう。
他人に見せるでもなく、小さなスケッチブックかメモの綴りだか分からないが、その1冊に色々書いていたのを覚えている。

書いているだけで楽しかった。
いや、ひょっとするとまるで昆虫採取のように、言葉を紙に閉じ込めて収集するのが楽しかったのかもしれない。
自分だけの宝物だった。そして自分の中ではそれはキラキラと輝いていた。

しかし、そんな宝物も他人の前で開けてしまうと空っぽになってしまう。
籠の開いた口から飛び出していく昆虫のように…

それは、小学4年生の秋のことだった。
先生とやり取りするノートの中に、つい、詩を書くのが好きだと書いてしまった。
すると「今度読ませて欲しいな」という返事があった。
その返事は私にとってとても恐ろしいものに感じたので、無視することに決めた。
だが、ことあるごとに「詩はまだですか?」のような催促があった。
とうとう観念して、そのノートの1篇の詩を書いた。

たぶん見せるに当たって、無難なものを書き写したのだと思う。
ただ見せるということに、大きな喪失感のようなものを感じていたのを覚えている。
それだけでも、子どもの私にとってはとてもつらいことだった。
それなのに、そんな思いを全く気付いていないであろう先生は、詩を添削してきたのである…

ものすごく悲しかった。
何もかもを否定されたような気持ちがした。
宝物が一夜でガラクタと化し、それ以来二度と輝くことはなかった。

その冬休み、年末の大掃除の時に詩を書いた綴りを捨てた。

* Category : 文学

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