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今日は中秋の名月。
時折雲がかかるものの、月は美しく輝いている。

月を見上げていると、あまりに直接的で恥ずかしいのだが、ベートーヴェンのピアノソナタ『月光』の調べが聞こえるようだった。
面影とともに。

月の光は美しくも哀しい。
触れることのできない思い出のように。

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この曲はさすがに名曲だけあって、多くのピアニストが録音を残している。
ヴィルヘルム・ケンプ氏の演奏はを選んで貼り付けたのは、その思い出の人が好きだと言ってたからである。
「演奏の上手さという意味ではたぶん他の人のを選ぶけど、なんとなく懐かしいような心地よさがたまらない」と。


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2015.09.27 / Top↑
ここ数日、前回の続きのような内容で新しい記事を書こうとしては断念の繰り返し…

ブログとして書こうとすると、どうしても説明的になってしまい「書きたいと思うこと」からかけ離れていってしまう。
それは、「伝えよう」とする意識から来るのかもしれない。
「分かって欲しい」のではなく、「自らの内にある思いを表現したい」のに上手くできない。そういったところか。

色々考えている内に、「詩」と言う形式なら上手く表現できるのではないかと思い至った。
少なくとも私の文章力では、夢のようなつかみどころないものを普通のブログのような散文形式では書けないような気がする。

「詩」と思い至ったものの、詩を公開することは自分にできるだろうか…と、子どもの頃の出来事を思い出しながら考えてしまう。

小学生の頃、(詩と強く意識してではないと思うが)よく詩を書いていた。
たぶん短い文章の並び、それが生み出すリズムが好きだったのだろう。
他人に見せるでもなく、小さなスケッチブックかメモの綴りだか分からないが、その1冊に色々書いていたのを覚えている。

書いているだけで楽しかった。
いや、ひょっとするとまるで昆虫採取のように、言葉を紙に閉じ込めて収集するのが楽しかったのかもしれない。
自分だけの宝物だった。そして自分の中ではそれはキラキラと輝いていた。

しかし、そんな宝物も他人の前で開けてしまうと空っぽになってしまう。
籠の開いた口から飛び出していく昆虫のように…

それは、小学4年生の秋のことだった。
先生とやり取りするノートの中に、つい、詩を書くのが好きだと書いてしまった。
すると「今度読ませて欲しいな」という返事があった。
その返事は私にとってとても恐ろしいものに感じたので、無視することに決めた。
だが、ことあるごとに「詩はまだですか?」のような催促があった。
とうとう観念して、そのノートの1篇の詩を書いた。

たぶん見せるに当たって、無難なものを書き写したのだと思う。
ただ見せるということに、大きな喪失感のようなものを感じていたのを覚えている。
それだけでも、子どもの私にとってはとてもつらいことだった。
それなのに、そんな思いを全く気付いていないであろう先生は、詩を添削してきたのである…

ものすごく悲しかった。
何もかもを否定されたような気持ちがした。
宝物が一夜でガラクタと化し、それ以来二度と輝くことはなかった。

その冬休み、年末の大掃除の時に詩を書いた綴りを捨てた。

2015.07.25 / Top↑
この記事は、7月の初めバイク中心のブログ『凸凹道でも気にしない!』に書いたものの、内容的にそちらで公開するには少し違和感があったので、こちらのブログに転載することとしたものです。

以下、『凸凹道でも気にしない!』よりそのまま転載)


久々の更新ですが、楽しい話ではなく独り言のような内容です…
本当はあまりこういう内容の話はこのブログでは書かないつもりでしたが、少し感情を吐き出したい…と言いますかそんな感じなので。
(落ち着いたら非公開にするか消してしまうかもしれません)

………

7月はどうしても思い出すことがある。思い出す人がいる。
あれからもう10年以上経つ。
忘れないと思ってた。忘れられないと思ってた。
いや、たぶんかつてはそんな風に意識すらしてなかったと思う。

時の流れは、多くの思い出を記憶の奥へと追いやってしまうものなのか。
それとも私が冷たいのか…
色々な表情、しぐさ、そしてその声が思い出すまでもなく、ふとした時に心の中に浮かんできていたのを覚えている。
なのに…
今ハッキリ思い浮かべることの出来るのは、はにかんだ笑顔の1枚の写真の姿だけ。
その1枚の写真以外は捨ててしまっている。

そんなことを考えると、ふと崎谷健次郎さんの曲のフレーズが浮かんできた。
「~かばんに入れた一枚の写真 君の笑顔を閉じ込めて…」
その曲が今回の表題の『不安定な月』

YouTubeで探してみたが、やはりアルバムの中の1曲ということもあり単独でUPされてはいなかった。
そのアルバムのメドレー形式のダイジェスト版はあったので貼り付け。
その曲は15:55~



(ニコニコ動画では単独でUPされてました。ログインしないと見れないのですが…)
   ↓
http://www.nicovideo.jp/watch/nm6997427


実はこの曲を今年の冬にも思い出したことがある。
YouTubeの方ではない部分だが、「~夢の中へと導く 近づいてくる君の足音 振り向くと目が覚めた」というところ。

夜、仕事の書類をPCで作っているときに、つい机に伏せて寝てしまった。
その時、懐かしい声で私の名が呼ばれた気がした。
そして「そんなことしてたら風邪ひくで」という言葉も。
慌てて振り返った。
寝ぼけた眼で見たのは机の背面にある本棚だった…

寝ぼけてたのもあるが、すぐに何が起こったのか理解できなかった。
後になって思えば、そのまま寝ていたら夢の中で逢えたのでは…
少し落ち着いてから、「こういうのを歌ってる曲があったな~」ということで崎谷健次郎さんの曲だと思い出し、CDを探して確認の為にかけてみたのだった。

この曲は、国を追われ亡命していくような内容なのですごく不思議な感じで実感が湧かないのだが、とても心に残っている。
作曲は崎谷健次郎さんだが、作詞は有木林子さんという方とのこと。
調べてみても、本名が吉国 一己さんということくらいしか分からなかった。
また、崎谷健次郎さんはシンガーソングライターではあるが、私個人の感想では作曲・編曲の方が優れていると思う。
しかし、現在はどうされているのだろう…



実はこれを書いている今、あの時と似た状況の中にいる。
書くことによって、出来事が主観を離れ、少し距離を置いた客観いやできれば傍観者の立場に身を置きたいと願っているのかもしれない。

今、窓から見えるのは曇った夜空…
それでも顔を上げなきゃいけない。
あの人に心配をかけないように…

2015.07.16 / Top↑
こちらのブログは長い間休止しておりましたが、また書きはじめようかなと…

先日バイクのことを中心にしたブログ『凸凹道でも気にしない!』に記事を上げたのですが、やはりそちらのブログではそぐわないかと思いまして、こちらのブログの再開を決めました。
(その記事は、この次に転載することに致します。)

こちらではテーマにとらわれず色々書いていければと思います。内容的には独り言みたいなのが多くなっちゃいそうですが…

たぶん更新頻度は高くないでしょうが、のんびり続けていければと思っております。

2015.07.16 / Top↑
先日、ポール・マッカートニーさんがコンサートの為来日したというニュースがあった。

私にとってはポール・マッカートニーさんの曲としてパッと思い浮かぶのは、この曲と映画007で使われた曲『Live and Let Die』、あとはマイケル・ジャクソンさんとの『The Girl Is Mine』くらいでしょうか。
で、この曲と言うのは『The long and winding road』なのですが、The Beatlesの曲と言うのが正しいのかもしれません…


※観るのはライブ映像などの方がいいのですが、今回は歌詞付きのものをチョイスしました。
 (しかし、もう少しカッコいい画像をつけて欲しかったな~w)

この曲は、中学生の頃クラス対抗の合唱で『Yesterday』をすることになった時、何故か先生が間違えて聴かせてくれたのでしたw
先生がビートルズのお気に入りの曲をまとめたものなのか、ベスト盤だったのかは分かりませんが、かけてくれたテープをダビングしてもらって何度も聴いた覚えがあります。
しかし何故かこの『The Long And Winding Road』はビートルズとしてではなく、ポール・マッカートニーさんの曲と思っていて、こんな曲が作れてしまうポール・マッカートニーさんは素晴らしい!と変な感想を持ち続けてました。

それほど難しい単語は使われてないので、中学生でも辞書があれば大体の意味が分かるという感じ。
当時は自分自身あまり英語が分からないので、出だしの”The long and winding road that leads to your door”と言うフレーズを覚えた時は妙に大人になったような感じがしたものでした。

今、そのフレーズを読むと色々思うことも…
「君のドアへと繋がるこの長く曲がりくねった道」

この歌の主人公(私)は、一人ぼっちで置き去りにされていて、(君に)迎えてもらうことを願っているという感じなのだが…
どれだけ遠かろうが、どれだけ曲がりくねって大変な道のりだろうが、「この長く曲がりくねった道」は「君のドアへ続く」ことを主人公は知っている。
君へ続く道を知っていて会えないのと、どの道をたどれば会えるかすら分からなくて会えないのとはどちらが辛いのだろう…
どうしても会えない…と分かっている状態と比べるとどうなのだろう…
比べることに何の意味もないけど、ついつい色々考えてしまう…

2015.04.26 / Top↑
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